本格ミステリの傾き者、推理作家 [霞流一 探偵小説事務所]
ネットで掲示板といえば「2ちゃんねる」なんだろうな。
その「2ちゃんねる」を作った人(管理人というのか、オーナーというのか、ネット世界に疎い俺はよく解らないが、とにかく、立ち上げた人のこと)、その人は東京の北区の赤羽に在住する方であると雑誌で読んだ。
そうだったのか、なるほど、と勝手に思った。
俺は三歳から二十九歳までの間、赤羽台団地に住んでいた。そして、同じく幼少青年期を過ごした友人らもその雑誌を読んで、やはり、「なるほど」と頷き合う。
何が「なるほど」って、昔、赤羽には大きな掲示板が存在していたからである。
ネット世界もなかった三十年以上も昔のこと。
西口の弁天池から赤羽台の交番に向かって延びる坂がある。あの「マークスの山」のワンシーンにも描かれ、夜、合田刑事が静かに上っていたっけ。
通称、弁天坂と呼ばれている。
その坂の片側が巨大な壁面になっていて、子供や青年やらがチョークや蝋石で書き込みをしているのである。「A君とBさんはデキてる」「三年四組のC先生は赤羽オデオン座で[淫欲婦人]を観ていた」「団地祭の夜、D君のお兄さんがカーSEX」「相手はE君のお姉さん」「いや、保険のF先生だ」「双子のG君は本当は三つ子」「H屋の味噌ラーメンは危険! セミが入っている」etc。噂や世間話、中傷、伝言、卑猥なイラストなどたくさんの書き込みが至る所に飛び交っている。どうやって、あんな高い位置に描けたのだろうというアクロバティックなものまである。ちょっとした町の情報ネットであった。
小六の時、うちのクラスのことが書かれていて、それを発見した担任教師が激怒。体育と道徳(こんな科目、今は無いんだろうな)の連なっている二時間を利用して、クラス全員で弁天坂の掲示板を掃除することとなった。モップ、長柄ブラシ、バケツ、ホース、脚立などの重装備で総勢40名の一個師団が消去作業。給食の時間にまで食い込みながらの重労働。どうにか壁面すべての書き込みはうっすらとしたものとなった。
この作業が町で評判になり、それ以来、書き込みをされることはほとんど無くなった。やがて月日が経ち、風雨に洗われ壁面はまっさらな状態に。
弁天坂の掲示板は消えた。
しかし、幾重にも書き込まれた人々の想念は留まっていたのだろう。言霊は出口を求めて長い年月、雌伏する。
三十年の時を経て、ネット世界という新たな生地を見出した。
そして、心優しき霊媒として「2ちゃんねる」の創始者を選んだのだろう。
と、いうのが、俺ら赤羽60年世代が勝手に頷き合った「なるほど」であった、とさ。
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