本格ミステリの傾き者、推理作家 [霞流一 探偵小説事務所]
飯野文彦の「バッド・チューニング」(早川書房)を読む。
日本ホラー大賞最終候補作であり、既に多数の個性的な秀作を発表している著者の集大成とも言える作品。
これは、長文の詩である。
あらゆる汚物を成仏させんとする呪文のような詩と言えよう。
下劣な単語と卑猥なセリフを暴力的なまでに乱打するリズミカルな文章が、
次第に神経を麻痺させて、トリップしたように心地よい。
尻の中に詰まっているものが脳味噌で、頭の中の方が糞尿、そんな自虐的な肉体否定さえしたくなってくる。
読み進めるうちに、やがて達する安らぎの境地とは、エロとグロの浄土あり、スカトロの涅槃であろう。
薄汚いスナックのママである、雌豚のようなババアが活躍するあたりから、イイノイズムはフルスロットルに全開する。
ふと、思ったのだが、著者はなぜか、ババア(オバサン)という存在に粘着質的なこだわりがあるようだ。それもブルーカラー系のババアに。
代表作の一つ「ザ・ハンマー」では、下女のようなババアが尋常じゃない臭気の屁を放ち、映画館をパニックに陥れるし、
「真昼のラブホテルの決闘」では、タバコ屋のババアが乳房を振動させて低空飛行しながら男を追跡し、レイプする。
また、学生時代にワセダミステリの同人誌用に書き下ろした短編を読ませてもらったが、
冒頭、ティッシュ配りのババアについて執拗なまでの詳細な描写が続き、しかし、やがて、ババアはあっさりとサイコ野郎に首を折られて殺されてしまう。
さらに、著者の酒席の宴会芸の中には、「お掃除オバサン」や「お注射オバサン」という演目があり、しかも、シリーズ化している。
かようなまでに、なぜか、著者は薄汚いババアに妄執のようなこだわりを持っている。
一つの恐怖ともとれる。
リビドーに関わるような何か強烈な過去があったのだろうか。
それがホラーを希求する創作の原点なのかもしれない。
その点において、フェリーニを連想させる。
「8 1/2」のサラギーナ、「サテリコン」の見世物女、「アマルコルド」のタバコ屋・・・等々。
脂っこいデブのオバサンに、フェリーニはこだわり続け、時として詩のレトリックのような映像表現をもって憧憬の念を捧げた。
ならば、やはり、飯野文彦は詩人なのだろう。
熊のプーサンのように赤シャツ一枚で、下半身を剥き出しにしたフェリーニなのかもしれない。
ともあれ、「バッド・チューニング」が恐るべき作品であることに間違いはない。
言うまでもなく内容が怖い。また、ちゃんと読んでいる自分が怖いと思う読者もいるだろう。
そして、何よりも、これを書いてしまった飯野文彦が怖い。
全身ホラーの詩人が怖いのだ。
晩飯。サンマ焼き。イカ刺身。イカとミョーガのぬた。ジャーマン・ポテト。
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