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■ 10月12日(金)・2007
October 12, 2007 11:43 AM


 吉祥寺の映画館で、ようやく、「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」を観る。
平日の朝イチの回ということもあって、場内に、
観客は、オレ一人!
マカロニ独り占め! なんとも不思議な贅沢感を覚えるのであった。


映画そのものは、いろいろと言いたいけれど、
たっぷりと楽しめて、存分に満腹感に浸らせてもらった。
異形の光景が次々と連射されて、最後まで飽きることがない。
タランティーノの「悪魔のいけにえ」爺さんやら、石橋貴明のオカマ演技など隅々までサービスが行き届いている。


全体を通して、マカロニの日本版というよりも、
パロディ効果を多用したコメディ・アクションといった印象であった。
「夕陽に立つ保安官」「地平線から来た男」などの、俺の大好きな名匠・バート・ケネデイ監督の作風に近いと思う。
実際、「地平線から来た男」のラストでは、ジェームズ・ガーナーが汽車に乗り、
「これから、イタリアへ行って、西部劇で稼ぐつもりだ」
ってセリフがあるくらい。
それに相当するエピソードが「ジャンゴ」でも、やはり、最後にちらっと用意されている。


主演の伊藤英明のキャラが少し薄いかな、と思っていたら、
この映画、真の主役は、桃井かおりであり、彼女の扮する「血まみれ弁天」の物語だったのかと激しく納得。
なるほど、ウエスタンとは西部の劇であり、「地」についての擬似神話である。
卑弥呼の時代より、母系社会のコミュニティが育まれるDNAの日本国。そこにウエスタンを成立させるならば、女性の主人公は正当なる摂理ということになろう。


また、イタリア製西部劇を欧米では「スパゲッティ・ウエスタン」と名付けているのに対し、
日本だけが「マカロニ・ウエスタン」と呼んでいる。
男と女は、棒と穴。
つまり、スパゲッティとマカロニに相応する。
マカロニ(=女性)という名称そのものが、すでに日本という母系社会の血筋に従った証左なのであろう。
そうした背景に裏打ちされて、監督・三池崇史の神性的直感による創造は正しく潔い。爽快ですらある。


「さよならだけが人生だ」とタランティーノに日本語で言わせ、さらに、字幕で画面いっぱいに表示される。
なるほど、三池監督は今村昌平に師事し、その今村の唯一の師匠は、
川島雄三(「幕末太陽伝」「しとやかな獣」など)である。
三池の師の、さらに師にあたるわけだ。
その川島が傑作「貸間あり」で引用するくらいお気に入りのフランス詩の一節が「さよならだけが人生だ」。
三池がこれをさらに引用するのは、もちろん、川島へのオマージュである。
そう、「ジャンゴ」はまた「師」の物語でもあったのだ。
タランティーノ、桃井、伊藤らを中心とした師弟の関係を縦糸として、母なる大地のウエスタンを横糸にして織り上げた、血統と決闘の伝奇なのである。


ならば、どこかに、川島だけでなく、今村へのオマージュも仕込まれているに違いない。
そう信じて俺は目を皿のようにしてスクリーンを凝視し続けた。
しかし、物語が終わり、北島サブちゃんの歌う「ジャンゴ さすらい」が流れ始めてしまった・・・。
なーんだ、とあきらめかける・・・。
す、すると、な、なんと、スタッフ・クレジットの小道具関係のスタッフ連の中に、
今村昌平
の名がっ!
もちろん同姓同名であろうが、きっと意図は込められているはず。
ぬけぬけとやりやがったな、三池めっ!
俺は何やらすがすがしい感動がこみあげてくるのを覚えるのだった。
周囲見渡したら、他に観客いねえし!


 晩飯。記憶を頼りにホウトウを作る。幸いにも美味くできた! ミョウガとキューリの酢の物と併せて、美味しい。



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