本格ミステリの傾き者、推理作家 [霞流一 探偵小説事務所]
まあ、数え切れないくらい映画館に通った人生だし、
また、かつて二十年ものあいだ、映画会社に勤務していた。
そんな俺が、
シネコン、初体験。
いやはや、戸惑ったよ。
チケットの買い方、わかんねえし、
館内に劇場(スクリーンって言うのか)がすげえいっぱいあるし、
座席は指定されるわ、
ちょっとしたパニックに陥り、俺の生活感覚は、20世紀少年のまんま止まっているのが露呈しちまったさ。
チケット売り場のネエちゃん、笑いをこらえてたろうな。
でも、場内に入れば、シートは心地いいし、スクリーン位置も見やすいし、
とっても快適な観賞を味わったよ。
それで、観た映画は、
「ダークナイト」
凄い映画、って少年(ガキ)のような感想しか言えない。
今後、何度も繰り返し観るであろう逸品だ。
バットマンとジョーカーの対峙を波動源に据えた禍々しい物語。
この構図とベクトルは、
「太陽を盗んだ男」(監督・長谷川和彦)をより凶暴に進化させた形だろう。
もちろん偶然だが、両作品は多くの相似形を共有している。
欲得が目的ではなく、社会を弄ぶために暗躍する、
ジョーカー(H・レジャー)と城戸誠(沢田研二)。
前者は紙幣を燃やし、後者はビルから捨て、金にまったく執着しない。
彼ら犯人サイドから逆指名される
バットマン(C・ベール)と山下警部(菅原文太)は、
二人とも、やはり、激闘の過剰な加速によって、法規から逸脱してしまう。
彼らの戦いそのものが、社会を無秩序に波打たせる。
そうなってくると、
都市機能の生命線たる電話回線にダイナミックな仕掛けを施すのは、
両作品にとってごく自然な策なのである。
また、ワイヤーやロープなどを用いた落下アクションが多用される共通点も、
ヘヴン(天国)とヘル(地獄)の近距離を暗示し、
それほどの危機的窮状のゴッサムシティと東京を二重写しに浮かび上がらせる。
さらに、その渦中に立たされるヒロイン、
レイチェル(M・ギレンホール)とレイ子(池上季実子)の存在も、
さながらお互いの鏡像に見えてくるのだ。
「太陽を盗んだ男」のシナリオに、レナード・シュレーダーが携わり、
また、一方、「ダークナイト」の前話「バットマン ビキンズ」には、
渡辺謙が重要なキャスティングを占めている。
特異な作品世界の造形のヒントは、
西洋と東洋の視座の交流にあるのかもしれない。
そして、
「太陽を盗んだ男」というタイトル、
そのシルエットこそ、
「ダークナイト(闇の戦士)」であるのは、偶然の必然なのである。
夜は例によって「戎」北口店で一杯。
店員さんに勧められた秋の新作・中華冷やっこ、実に美味ナリ。
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