本格ミステリの傾き者、推理作家 [霞流一 探偵小説事務所]
映画「恐怖の報酬」を観てきたよ。
それも初日(11月24日)に。
「恐怖の報酬」と言っても
H・G・クルーゾー監督の「恐怖の報酬」(1952)ではない。
W・フリードキン監督の「恐怖の報酬」(1977)である。
それも、オリジナル完全版。
そうなのだ。
1978年に日本公開された「恐怖の報酬」(1977)は
本来は二時間だった作品を
三十分もカットされ、監督の意図を踏みにじって勝手に編集された
粗悪な短縮版だったのである。
(北米の一部を除き、世界配給されたのがこの短縮版)
当時、オイラ、知らずに観たのだが(配給会社が敢えて秘したという説アリ)、
どうにも食い足りない、という印象だった。
折角のパワフルなシーンが随所で無駄に暴走し、
全体がアンバランスで空回りの連続、どこからか熱風が漏れているよう。
何というか、敢えて(何故か)食い物に例えるなら、まるで、
スープを入れ忘れた、タレだけのラーメンを食わされている感じだった。
しかし、ついに偽史ともいうべき暗黒の歴史は覆された。
複雑な契約事項をクリアして編集権を奪回した
フリードキンの執念によって
何と四十年ぶりにあるべき姿で復活、
それが今回の
「恐怖の報酬」オリジナル完全版なのである。
これが凄い。容赦なく凄い。
捨てカットなど皆無の
スタミナに満ちたシークェンスが鋼(はがね)の鎖のように連なり、
観る者の心臓を締め上げてゆく。
それは
覚醒したまま正視し続ける悪夢の愉悦であり、
禁断のトリップが誘う
絶望のスペクタクルと奈落のフェスタである。
いやはや、四十年前に見せられたのは何だったのだろう?
そう思うくらい、
はっきり歴然まったくの別物である。
傑作としか言いようがない。あるとすれば、大傑作、それしかない。
あ、別物と言えば
もはやリメイクと呼べないほど
クルーゾー監督版とは演出プランもコンセプトも異なる別物であり、
そのクォリティは互角に拮抗し得る成果、
というか、双方を比較すること自体まったく無意味であろう。
そう思い、それほど興奮しているのはオイラだけではないはず。
見終わった観客たちの
上気した表情と
まるで秘宝を見つけたような目の輝きが雄弁に物語っていたぞ。
(秘宝と言えば「映画秘宝」の読者っぽい人達いっぱいいたな、って他人のこと言えんオイラだが)
あ、あと、一応念のため、
「週刊文春」の映画欄で
評者五人のうち三人が五つ星の満点を付けていたこと(他二人が四つ星)を追記しておく。
一言で言えば、ディス・イズ・映画。
ああ、四十年前の「恐怖の報酬」の後も
ずっと映画を観続けてきて良かったぁ。
あ、そうそう、
上映館の新宿シネマートでは
公開記念に売店で
「非情Coke」ってコーラを販売してたけど、
二日目には売り切れたらしい(追加発注中)。
ああ、オイラとしたことが迂闊だったぜ、
「非情Coke」飲んどきゃ良かった・・・・・・それだけが心残り
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